「池田花央里が出来るまでNo. 1」

 

中学に入ったばかりの頃、
何年も会っていなかった大叔母が入院し、
お見舞いにいきました。

「早く元気になってくださいね!」
と声をかけて病室を後にしたきり。

大叔母はそのまま退院することなく
他界しました。

後に知ることになりましたが、
その時に、私を見て後継者にしたいと
言った、とのことでした。
母は当たり前のように断ったらしく、

それを知ったのは教師を辞め
完全に仏の道に入ってからでした。

大叔母は、旅館に嫁ぎお手伝いさんもいて、
なに不自由ない結婚をしました。
でも、子には恵まれませんでした。

趣味のようなかたちで
霊視鑑定をしていてたちまち
有名になり噂を聞き付けた人が毎日来たそうな

大叔母の死後、私の能力が
完全に開花するまで
不思議なこと続きでした。

幼少の頃から何故か
大叔母の部屋が好きでした。

行けば勝手に入り込み
可愛らしく質素だけれど品があり、
ひとつひとつの家具や小物に、
静寂と、高貴ななにかを感じていました。

行けばいつも部屋を見て回っていました。

そして特にお昼寝をするのが好きでした。

夏休みになり
叔母の家が売りに出され
遺品を整理する日が来ました。

私は特に手伝うこともなく
離れた和室に居て宿題をしていました。

その時、昼頃でしたが
中庭に薄日が差してきて、

いつも西陽しかささない部屋でしたのに
唐紙が透けたのでした。

風が吹き抜け、
唐紙のなかに仏像の様な絵と
草書の様な、
中国の古い字のようなものが
見えたのです。

私は無性に気になり、
良くないと感じながらも
唐紙を破りました。

中から出てきたのは
真言密教に関する書物、符でした。

私は幼少期から
書道にはまっていて、小学生で既に
草書やれい書などを極めていて、

何が書いてあるのか
大体は理解できたのでした。

きっと大叔母の大事なものだと感じ
遺品整理をする大人の目を盗み
夏休みの宿題のテキストに挟み
すべて持ち帰りました。

とにかく誰にも知られないように
隠しました。母にも言わずこっそりと。

今宵はこれまでにいたしましょう。

続く、、、。

 

「池田花央里が出来るまでNo. 2」


前回投稿の続き、、、。
.先天的に視られる人は、
わりと位の高い神仏が
ついてくださっているので、変な話、
裕福な家庭に生まれたり、
お金に苦労しないで育った方が多いようです。

後ろの神仏が心穏やかによい環境で
居たいのでしょうね。

その分、精神的に苦労を背負うとも聞きますが。

後天的に能力が得られた方は
どん底まで堕ちて這い上がってきた、
そして業を積み能力がついた
という方が多いようです。

さて、前回の続きですが、

大叔母は幼少期から体が弱く、
当時は良薬などなく、
長生きできないと皆が思っておりました。

巷の噂で、猿の脳ミソを食べると
せいがつく、と

田舎の猟師に頼んで、
高いお金を支払い猿の脳ミソを食べた、と
言っていました。

それから細いけれど、
大病はしなくなったようです。

そして、霊的な能力も生死をさ迷う事態に
何度かさらされるうちに
ついたとのことでした。
..
大叔母は子どもを産めなかったので、
姪である私の母を溺愛しました。

休みの日は、フリフリのオートクチュールの
洋服に、チョコレートを食べながら映画館。
女中さんが何でもやってくれる。

就職してからも母は叔母の家に下宿していました。

でも、母には何も能力はありません。

大叔母は私に継承して逝ったのでした。
.

夏休みの宿題のテキストに挟み、
持ち帰った書物は、何となく仏教なんだな、

大叔母が信仰していたのかな、
くらいに考えており、
当時はインターネットで調べる等のすべもなく、
とりあえず、
秘密の隠し場所に隠すことにしました。

それから、書物の存在をすっかり忘れました。
.
高校生、大学生になり、就職してからも
特に気になることがなかったのです。

教師をしながら、何となく
占いに興味を持ち、それが霊視になり、
知り合いや同僚の教師の霊視を無料で
していくようになりました。

そして、自分でもなぜそうなっていったのか
わからないまま気が付けば
教師の仕事を辞し、
霊視のみをする鑑定事務所を立ち上げていました。

今宵はこれまでにいたしましょう。

続く、、、。

 

「池田花央里が出来るまで No.3」

 

前回投稿の続き、、、

自分で事務所を構え、スピリチュアル
カウンセリングを始めた頃は、
ただ霊視することしか知りませんでした。

何となく、変なものや不成仏霊が見えれば
イメージで三途の川を渡らせて、西方浄土へ、
なんてことをしていました。

次第にキツいな、と思うようになり、
そんな頃、池田花央里ができるまでNo.1に記した、
中学生の夏休みに見つけた、
あの書物を見れば何かある、と
思ったのでした。

実家に帰り、秘密にしていた隠し場所から
取りだし、必死に解読し、修得するために、
親や親戚に尋ねて周り、真実を突き止めました。
自分がなぜ生まれたのか。

それから、気付いたんですね。
真言密教と言うものは、これかもしれない、と。

洋風なスピリチュアルカウンセリングサロンを
したかったので、月の天使なんて可愛らしい屋号に
したのに、なんだか、古くさいな、と。

般若心経すら唱えたこともなく。

真言密教なんて、と思いながらも
バリバリのお経を唱えるようになり、
はじめは恥ずかしくて、嫌だな、と思いながらも、

今では、除霊、祈祷、七波光気術、霊符、ゴマ炊、

何でもやらせていただけるようになりました。

総ては大叔母が遺したもの。

この道に入ることがなければ
死んでいた。
そんなどうしようもない修羅を生きていた
私を生まれ変わらせるために

あの夏の日

池田花央里は
既に
存在していたのかも知れません。

今は真言密教をベースに現代に寄り添った
私独自のエッセンスを加えた鑑定、除霊、
波動修正、七波光気術、霊符、祈祷、
パワーストーンなどで、

現代社会に生きる方の為に
お役に立てれば、と日々を
過ごしております。

今宵はこれまでにいたしましょう。